家族3人楽しく暮らしたい

夫66歳 私60歳 娘1人の3人で毎日仲よく過ごしたい

湯豆腐

11年前に亡くなった私の父が


練炭火鉢の上に一人鍋の中


水とだし昆布と


鍋の真ん中には


茶色の陶器の湯飲みの中に


濃い口しょうゆがたっぷり入り


豆腐を切って入れて


晩酌のお供に一人だけ美味しそうに


湯豆腐をほおばる父。


たまに私たちも


食べさせてもらえた。


父が


毎日晩酌をしながら


冬は湯豆腐


きびなごの刺身


煮しめ


自家製みそで作った酢味噌で


ネギのような野菜を切らずに


湯がいてそれを絞って


2~3センチの長さに束ねて絞って


そういうのも食べていたし


節茶と言って


味噌汁がないときは


鰹節を鰹節削り器で削り


お椀に鰹節と自家製みそと卵を割って入れた中に


練炭火鉢の上で熱々になっているやかんのお湯を注いで


それも父はよく一人で食べていた


あとおやつにそば粉をお湯で溶いて


それがだんだんと固まっていくのを勢いよく混ぜて


黒砂糖で食べていた


落花生も食べていた


お風呂は昔は焚き物を炊いて


沸かしていて


そこで炭が赤々と燃えていくのを


外で別の火鉢に金網の上でサンマとか


あと干物とかよく焼いていて


猫にまんまと1匹取られることもあったけど


ご飯はガスで炊くから焦げもできるけれど


おいしいの。


明治生まれの祖母は


息子である父だけに


酒のあてを毎日買ってきて


作って食べさせていたし


私たち孫は


夜もほとんど1品料理


煮しめが多かった


カレーはまだよかったけれど


パスタはゆですぎだし


自己流の味だった


炊飯器のスイッチを入れ忘れて


保温のままでできたご飯は


本当にまずくて


でもその不満を祖母には


言えなかった


今私たち姉弟妹のそれぞれが


太っているのは


ずーっとおなかが減っていたからだと思うし


暖房も


床にカーペットが敷いてあって


こたつと練炭火鉢だけ


今頃はいつも寒かった


祖母は「寒いときはたくさん着なさい」と言って


冬は下着も含めてだけれど


祖母は6~7枚重ね着をした上に


割烹着をつけていたと思う


いつもあかぎれで


本当に手はガサガサしていた


ハンドクリームなんて買うこともないし


祖母は自分だけ敷布団の下に敷くやつがあって


電気敷布とか


湯たんぽを入れていた。


祖母が亡くなって


ストーブとか父も買っていたけれど


父のために毎日晩酌のあてを作ってくれた


祖母がいろいろ鍋を焦がすようになり


それを洗うのは父だけれど


あまりに祖母を怒るので


お隣のおじさんに逆に父は叱られていた


食のことを今思い出すと


父は家の中で本当に恵まれていた


それに比べて


母は


父を叱ってくれた叔父さんの奥さんから


2年前に聞かされたけれど


新婚時代はいつも泣かされていたそうだ


その泣き声が毎日聞こえてくると


祖母も早くに旦那さんが亡くなり


旦那さんのお母さんもいて


父親代わりにもなりながら


朝早くから仕事に行っていた


母は満州にいる頃は


お手伝いさんがいるような


裕福な暮らしをしていて


戦後家族で帰ってきて


やったことのない農業を一から始めて


母方の祖母は


50代半ばの時に糖尿病から失明し60歳で他界した


夫と一緒にやっていた農業をできる範囲で続けて約20年


色々な野菜を一人で作って家計を支えて


祖母と二人三脚で下の弟たちの面倒を見てきた母


私自身


母が糖尿病で亡くなって高校3年生だった妹を


ぐれさせないように


おなかには今父となった息子がいて


妹も結婚し喧嘩をしながらも幸せに暮らしている


私の子供たち2人も


成人した


明治生まれの祖母が求めた空き家は


いずれ更地になり売却するだろう


お墓も祖母や父が門徒だったお寺に弟が毎年会費のようなお金を払い


納骨堂に移るらしい


お墓参りをするたびにほかの後から建てられた


お墓と比べ本当に傷んできている


お骨を焼き直しして


骨壺も減らして


お経をあげてもらって


お墓じまいをし


納骨堂に移す日もくるだろう


今年は私も還暦


孫も生まれ


おばあちゃんになった


父は78歳で亡くなり明治生まれの祖母は89歳で亡くなった


あまり満足に食べさせてもらえなかったからこそ


食べ物に対する欲が強いのだと分かる


弟も妹も酒豪


私は病気をして飲まなくなった


父に聞いたことがある


「お母さんやばあちゃんが亡くなって


何か思うことはある?」


「死んでみないと分からない」という言葉が返ってきた。


父はいつもにこにこしていて


酒を飲んでいたが


人も良かったし人を見る目もあった


貯金はない父だったけど


今思うのは売れない場所に購入した空き家となった実家でよかった


と思う


それぞれが働いたり節約して暮らし


亡くなっていった祖母や父や母たちが


人生の中で私に真っ当に生きることを教えてくれて


お金持ちに対する嫉妬もないし


今病気になった自分に


後悔もない


母が56歳で亡くなったことと夫の母が60歳で亡くなったので


その年は超えたい


子供たちも自分で決めたことは


不平不満は言わないし


娘も家事が少しずつできるようになっている


今日も今年最初のB型作業所へ行き


玉ねぎの皮むきを


以前は人と比べて焦っていたのが


ケガをしないようにゆっくりとできるようになった


今日は娘の後に


風呂に入り


おいしい湯豆腐を作って食べよう