家族3人楽しく暮らしたい

夫66歳 私60歳 娘1人の3人で毎日仲よく過ごしたい

実家の片づけ、そして我が家の片づけも

一昨日で


実家の片づけが終わって


玄関の入ってすぐの左側に


自宅のごみステーションに


捨てたり


片付けなければならない


大量のごみ。


夫が17年前に


夫の父が他界した後


2週間か3週間


とにかく


葬儀が済んで忌引きの1週間に


かたをつけようと


夫の妹の旦那さんと二人で


借りてきたトラックでごみ焼却場まで


何回も往復したらしい。


軽トラではなかった。


その時に初めてで最後の


夫の実家の片づけで


妹さんが結婚後置いていた


婚礼の時に購入してもらったタンス2竿から


父の趣味のプラモデルやレコードやCDや


ステレオや2人用くらいのこたつなど


本当に我が家にも


タンスとか持ち込まれ


今回2月から3月初めまで


夫と二人で私の実家の片づけをして


途中弟妹も2日加勢をしてくれた。


まだまだ父の時の提灯が


箱に入ったまま大量に出てきて


それは捨てられなかった。


一時的に大量家庭ごみを捨てられないので


仕方ないと思う。


築60年の家の片づけは


本当に大変で


今から我が家も


また捨てる作業をしていかないといけない。


障碍者に娘には頼めないし


県外の子供も


結局お嫁さんのご実家が


障害のある弟さんと


腰の悪いお父さんと


元気なのはお母さんだけで


大量の捨てる作業があるようだ。


思い切って捨てるというのは


大事なのかもしれない。


もちろん


捨てずにリサイクルに出す方法もあると思うが


父が1冊4千円もする本40冊以上を


古本屋さんに尋ねたところ


「売れないですから。」


の一言。


仕方なく紐でくくり


家の近くの1キロ1ポイントになる


本を捨てられるところへ捨てた。


この作業も2日した。


4~5年前も私たちの勉強部屋に


作り付けの本棚を作ってもらって


そこに父の大量の本があり


また上の方にも本や新聞が大量にあり


夫と括って


そのスーパーの前の1キロ1ポイントになるところで


捨てた。


茶碗や皿やかまも


食器棚にあるものは


私が家庭ごみの日に行って捨てたはずなのに


今回最終的に捨てる作業をする中


勉強部屋の奥から


仏壇の下の引き出しから出てきて


本当にいろいろ


お金を出していた父の姿が見えた。


父が亡くなり12年で


少しずつ片付けていたから


2月から3月初めまでで


何とか終わったが


今回まだ


本や食器や父の衣類があったら


とてもではないが


1か月半では


到底片付かなかったと思う。


1人より2人


2人より3人


人手があればあるほど


片付けもスピード感が違う。


写真もつい


見入ってしまってなかなか片付けられないが


何冊かアルバムもそれぞれが持ち帰り


父の墨絵も額縁事


持ち帰って


そこに


ほとんど関心のなかった弟も


少し気持ちが変化したように見えた。


これから


また何十年後


子供たちが


今住んでいる家の片づけをするのか


全く分からないけれど。


夫が17年前は


葬儀の後のこの片づけで


帯状疱疹になった。


気疲れと肉体的な疲れと


両方が50歳の夫にも


堪えて


なかなか大変な作業だったと思う。


今回は肉体的には衰えてきても


17年前の


ごみ集積場まで何回も積んだ荷物をトラックで運び


そこでドロドロした土なのか油なのか


分からないようなところに


摘んできた荷物を降ろして捨てていく作業が


無かった点は


大きかったと思う。


あとはプロの方にお任せして


やれることはすべてやったので。


これから家に持ち帰ったものを


捨てるのか


持っておくのか仕分けをしたり


子供たちが困らないように


断捨離をしていかないといけないと思っている。

コート

27~28年前


明治生まれの祖母の


米寿祝を


私たち家族、弟家族、父と妹、弟の嫁の両親、夫の父


11名で小さな旅館の一室にカラオケの機械をいれて


父も飲むのが好きだったし


弟も飲むし


宴を行って


最後弟の嫁が


明治生まれの祖母に


ピンク色のハーフコートを


舞台上で手渡した。


その2年後くらいに亡くなった祖母は


このコートはほとんど着ていない。


祖母は、本当に温泉が好きで


今日も今から娘と行くが


そこには、祖母は行ったことはない。


しかし


その温泉の近辺には


車で何回も行った。


認知症が進んでも


車の中で祖母が良く歌っていた


浦島太郎の歌を歌い


父の運転で妹と私の長男と5人で出かけた。


祖母は年齢の割に


小綺麗にいつもしている方だったと思う。


夏は黒いサンダルをひざ下ストッキングを履いてから。


黒いワンピースとレースのカーディガンをセットにして


出かけていたと思う。


冬は自分で着物の帯を締めて


その上に羽織を着て出かけていたと思う。


白足袋は必需品だった。


実家は寒くて


暖房はこたつと練炭火鉢しかなく


ココアや昆布茶をよく飲んでいた。


祖母が作ったさつまいもをふかしたものか


冬はもちを練炭火鉢の上に金網を載せて焼いていた。


あんころもちも手作り。


端午の節句のちまきとかからんだんご。


私はかからんだんごが好きだった。それもすべて手作り。


最近家族で夫の好きなかつお腹皮を買いに行ったが、昨年は


久しぶりにサツマイモを2キロくらい買って


今それでこちらでいうがねというサツマイモの天ぷらを


油で揚げたり、サツマイモを切って水にさらしてレンジでチンして


潰して片栗粉を混ぜ。もらい物のチーズをその中に入れて


油で揚げるチーズボールは娘も好き。


娘も起きて朝ごはんを食べて薬を飲んで


着替えて


息子の好きな温泉でもあるところへ今から行く。


前回8枚で3千円の温泉の券を購入したので


あと娘と二人で今日を入れて3回は行ける。


ゆっくりと露天風呂まで楽しんでいこうと思う。

つかずはなれず

娘が


統合失調症になり


1年近く入院して


転院して


そこの自立訓練のお陰で


家族と会話することができて


B型作業所もたくさん見学して


娘自身が決めたB型作業所に


週1日行けて


昨日夫婦で見学させていただいた。


いろいろ思い悩むことはあるけれど


そのB型作業所を息子さんのために


作ったスタッフさんも今も


息子さんは調子を崩すことがあり


思い悩んでいて


娘が毎回出社する際に


その女性に詩を書いて渡していて


それを見せてくださり


「私はこれに励まされている」


と言っていただき


色々な悩みは


皆ありながらも


生きていくほかなく


つかずはなれずで


これからも行こうと思うことだった。